京都in京都(3)

50年前に作った曲を聴くなんてことはそんなにない。もちろんどんな曲を作ったかなどすっかり忘れていて、想像だけが(相当に)膨らんでいたから聴いたときは、呆気にとられた。曲らしきものが20分くらい流れる。メロディーはほとんどない。fluteのsolo、忘れた頃に鳴る管のサウンド、猫が手で弾いているようなピアノ、それらが繰り返し現れ、そして終わる。
なんだこれ。う〜ん、なにを思って作ったのだろう。若気の至りという言葉も思い浮かぶ。よくこんなことをやらせてくれたもんだ。
全編に流れるfluteのsoloは宮沢昭さんに違いない。後のメンバーはわからないけれどその頃のスタジオミュージシャンでは最強だ。いずれにしてもテンポがあるんだかないんだか(あるに決まってるが)わからない音楽で、これだけ聴いていたらなにがなんだかわからない。気取っていえば、京都のなにか一瞬を切り取ったような音楽だ。

編成は思ったより少なかった。12、3人というところか。ギル・エバンスのサウンドは聴こえてこなかった。猫の手のピアノは自分だろう。指揮は誰だかわからないけれど、そのころよく頼んでいた中谷勝昭さんかも知れない。

京都in京都(2)

岩宮武二さんのことはこの仕事をするまで知らなかった。渡辺さんか村上さんが教えてくれたんだと思う。写真集を見た。すばらしい写真だった。品格があるといったらいいのか。これに音楽を付けるのは難しそうだなと思った。しかし作編曲の仕事をはじめて2年ちょっと、怖いものなしの頃だったし、ちょっと図々しくもなっていた。楽しんでやる余裕はなかったけれど夢中でやった。
どんな曲を書いたんだろう。ギル・エバンスが好きだったからそんなサウンドが頭にあったかも知れない。いや、そんなことはどうでもいい、それより前に書いた「いたらなさ」の説明をしなては。
なにしろ20分の映像のはじめから終わりまで切れ目なく音楽を書いてしまったのだ。録音しているときは映像は見ないし、いくつかの部分にわけて録っているからわからなかったけれど、でき上がって全部を見て聴いてみると必要以上に集中を要求されてもうへとへとになる。そんなことわかってたことじゃないか、といわれればその通りだけれど、わからなかったんだなあ。

編成は木管を含む20人弱のオーケストラ(弦楽器はいない)。ピアノは弾いているかどうかわからない。実は今日(7/4)の夜中、アケタの島田さんからファイルを受け取ることになっているのだ!

京都in京都(1)

3年近く前か、ずっと昔に作ってもう忘れかけていた音源のマザーテープが見つかったと聞いた。まだCMの仕事をはじめてまもない頃のもので、岩宮武二さんの写真を映像化した20分くらいの「京都in京都」という作品だ。映像化したのはその頃六本木にあったACAという会社で、写真のアニメーションは渡辺泰治さん、音楽プロデューサーは村上彰さんだった。できてすぐに上映会(試写会か)があって、それを見たときは自分のいたらなさにがっくりしたのを憶えている。そのマザーテープが村上彰さんのところにあった。しかし古いテープなのでちゃんと再生できるかどうかわからないので、知り合いに頼んで確認してもらう、という話があったきり、村上さんとは連絡が取れなくなった。半年ほど前、横浜のライブハウスでひさしぶりに会った岩崎さん(博報堂にいた)から村上さんが亡くなったと聞いた。信じられない。もっとも信頼していたCM音楽ディレクターだった。そうか「京都in京都」はもう聴けないのかと思った。
つい先日、Facebookの「ピアニスト渋谷毅」に桑原さんという人からそのテープを預かっているのでお返ししたいと連絡があった。村上さんが頼んだ知り合いに違いない!
 
無事にマザーテープが戻ってきた。本当は村上さんのところに戻るはずのものだけれど。早速アケタの店の島田さんに聴いてもらいファイルにしてもらうことにした。6mmテープ、モノーラル。録音は昭和44年、なんと50年前だ。テープの状態はよく音もよいという話。うれしい。でも、その頃どんな曲を書いたかまるで憶えていない。

松元龍宏さん

bassの松元龍宏さんが亡くなった。中山信一郎さんが作ってくれた最初のアルバム「dream」のベーシストが松元さんだった。知り合ったのは彼が東京に出てきたときで、なんどか演奏したけれど、鹿児島に帰ることになって、そのときいっしょに鹿児島にまで行ったのだった。中山さんにはそのときに知り合った。
10年以上経って(もっとか)、dreamの録音につき合ってもらった。drumsはやはり鹿児島の浜島純昭さん。ピアノは弾いていなかったからうまくできるわけがなく半年後にまた録音した。松元さんは相変わらずすばらしかった。

この5/10に、中山さんの三冊目の本が出るその出版記念のライブでしばらくぶりに演奏するはずだったけれど、コロナ騒ぎで中止になった。中止じゃなくて延期か、などと思っていたら鹿児島の森田孝一郎さんから訃報が届いた。なんということだ、これでdreamのメンバーはみんないなくなってしまった(二回目の録音に参加してくれた植松良高さんも5、6年前に亡くなった)。残っているのはジャケットを作ってくれた岩下壮一さんとぼくだけだ。
なんとも言葉がない。この騒ぎが収まったらすぐに鹿児島に行こう。

中山さんの新しい本

中山信一郎さんの新しい本が出版された。
泣き笑い「映画とジャズの極道日記」ワイズ出版(2020年4月30日発行)
中山信一郎・著  山田宏一、小野公宇一・編

山田宏一さんとの対談、白井佳夫さんのエッセイ、などなど。ほとんど映画の話題なのは当然で、中山さんはジャズを聴く前から映画に親しんでいたのがわかる。
ほんとはもっと早くでき上る予定で、出版記念のライブを鹿児島で、と森田孝一郎さんががんばってくれたけれど、そのうちコロナ騒ぎがはじまってそれどころではなくなった。残念。
まだちゃんと読んでないのでまた書きます。お知らせまで。

5月の連休には本屋さんにあるかも知れない。

今日は4月23日

緊急事態宣言は5月の連休終わりまでという話だけれど、とてもそこで終わりになるとは思えない。感染者は増えるばかりで、毎日のニュースはそればかりだから、といって、なにをどうすることもできないから、なんだか無駄な時間が過ぎて行くだけの気がしてくる。こんなときはどうしたらいいんだろう。若い頃ならそう思っても、なんだかんだとやることがあったものだけれど、この歳になれば、と急に気がついてもなにも思い浮かばない。ただじっと時が過ぎて行くのを見てるだけだ。
ライブは5/8のエアジンから再開と決めていたけれど、どうも無理そうな気がする。先のことがまったくわからない。わかってもわからなくても大変ということだけはわかっている。

4月のライブはほとんどなくなった

4月のライブはほとんどなくなった。4/10からの市野さん、外山さんとの関西。豊橋、四日市のsolo。それから4/29から5/6までのオーケストラの旅、残念だけれど仕方がない。またチャンスはあるでしょう!

4月

4月になった。コロナウイルス騒ぎが収まらない。大きなライブハウスやコンサートが中止や延期になって、などといってるうちにいつも出ている小さなライブハウスまでそうなってきた。出演者も自粛しなければいけない勢い。
3月に中止、延期になったライブは3ヶ所、4月はいまの段階で3ヶ所、計6ヶ所だけどもっと多くなる。
4/10から市野元彦さん、外山明さんと関西方面に行くけれど、さあ、どうなるんだろう。あまり間際になってのお知らせでは知らせる意味がなくなる。こんなことを考えるのは面白くないなあ。

追記
これを書いてまだ一日しか過ぎてないのに中止や延期があっという間に増えた。いくつか数えるのも嫌だ。いままで生きてきてこんなことははじめてだ。この先どうなるんだろう、などとのんびりしてる場合じゃない!

関西三日間

藤ノ木みかさんとの関西三日間が終わって無事帰ってきた。「ブルーノートならまち」と大阪「燈門」はアケタの店(夜中)と同じことを、神戸「ビッグアップル」では山内詩子さんと東ともみさんの「詩+低音」といっしょで、「しぶやさんと456!!」というふざけたタイトルでやった。これははじめてやったのが「しぶやさんと123!!!」をビッグアップルをやった次の日だったので456!!としただけで深い意味はない。この日で3回目。詩+低音はvocalとbassのduoで、山内さんのいつ聴いても安心していられる歌と、すばらしいフィーリングの東さんのbassで、もう大好き。
コロナ騒ぎの真っ只中でお客さんも少なかったけどこれは仕方がない。また行きたい思っています。

三保敬太郎さん

YouTubeに三保敬太郎さん(piano,arr)の音源がいくつかupされていたので聴いている。
いや、すばらしい! 発表された頃は最先端のjazzだったに違いない、だっていま聴いてもすごくいいもの。

目黒にあった三保さんの家には何度か手伝いに行った。なぜ手伝いが必要だったのかよくわからないけれど、映画(音楽)の録音が明日に迫っていて猫の手も借りたかったんだろう。しかしそんな必要はなかった。だって、こちらが1曲作る間に三保さんはもう5曲ぐらい書いていたから。いま考えると、夜中にひとりで作曲してるのがつまらなかったんだろうと思う。
三保さんはあこがれのミュージシャンだった。才能があって、車が好きで、お酒が好きで、遊ぶのが好きで。
亡くなって34年が過ぎた。ぜひ聴いてみてください。