京都in京都(3)

50年前に作った曲を聴くなんてことはそんなにない。もちろんどんな曲を作ったかなどすっかり忘れていて、想像だけが(相当に)膨らんでいたから聴いたときは、呆気にとられた。曲らしきものが20分くらい流れる。メロディーはほとんどない。fluteのsolo、忘れた頃に鳴る管のサウンド、猫が手で弾いているようなピアノ、それらが繰り返し現れ、そして終わる。
なんだこれ。う〜ん、なにを思って作ったのだろう。若気の至りという言葉も思い浮かぶ。よくこんなことをやらせてくれたもんだ。
全編に流れるfluteのsoloは宮沢昭さんに違いない。後のメンバーはわからないけれどその頃のスタジオミュージシャンでは最強だ。いずれにしてもテンポがあるんだかないんだか(あるに決まってるが)わからない音楽で、これだけ聴いていたらなにがなんだかわからない。気取っていえば、京都のなにか一瞬を切り取ったような音楽だ。

編成は思ったより少なかった。12、3人というところか。ギル・エバンスのサウンドは聴こえてこなかった。猫の手のピアノは自分だろう。指揮は誰だかわからないけれど、そのころよく頼んでいた中谷勝昭さんかも知れない。