ジョニー・マティスの古いアルバム

CDを整理してたらジョニー・マティスの「A New Sound In Popular Music」というアルバムが出てきた。これは昔(60年くらい前か)渋谷の百軒店にあった古道具屋の隅に積まれていたLPを、なにかないかと一枚一枚調べていて見つけたそれのCD化されたものだった。LPは埃まみれでチューインガムが張りついてたりするひどいものだったけれど、内容がずっと探していたものだったので繰り返し聴いた。
ジョニー・マティスはジャズ歌手ではないけれど、このアルバムはギル・エバンス、ジョン・ルイス、マニー・アルバム、テオ・マセロ、ボブ・プリンス、パーシー・フェイス、レイ・コニフなどがアレンジをしていて、ギル・エバンスとジョン・ルイスのアレンジが聴きたかったのだ。中ではPrelude To A Kissのジョン・ルイスのピアノソロがよかった。アレンジはジョン・ルイスもギル・エバンスもその片鱗が聴こえるといった程度だったか。
しかし不思議なアルバムだ。1956年録音とあって、よく見たらプロデューサーはGeorge Avakianだった。なるほど!

2022年1月

おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今日(1/7)はアケタの店で古澤良治郎新春スペシャルセッション。毎年この日にやってて、古澤さんが最後までやっていた「ね.」というグループを中心にたくさんのメンバーが参加します。ぼくもいつからかやっていてずっとやっています。
古澤さんの活動は広範囲だったので全体を把握するのは難しいけれど、そんなことを考えなくても「ね.」だけを聴いていても古澤さんがわかると思っています。だって古澤さんの一番いいところがすべて「ね.」にあると思うから。もちろんあのドラムの素晴らしさは「ね.」ではわかりませんが、それは古澤さんのアルバムを聴けばいいわけです。
この日のセッションが終われば関西に行ってきます。沢田穣治さん、山内詩子さんとセッション、つづいて翌日は山内さんとduoの活動している東ともみさん(guestに平田王子さん)とduo、その翌々日には山内さん、東さんと3人で、最後の日はついこの間アルバム「Good-bye -浅川マキを抱きしめて-」を発表した伊香桃子さんとduoとなんだかにぎやかになった。

もう11月だ

11月になった。このところ特に忙しいこともないから年末まで何事もなく過ごせると思う(だったらいいけど)。
来年が大変そうな気がするけれど、まだわからないことをあれこれ考えてもしょうがないから、そうなったらまたそのときに考えるとして、
今月は北海道に行ってくる。といっても札幌周辺だけで、これは札幌の勝田さんが声をかけてくれたからで、せっかく行くのならそのライブの後に栗渋(栗田妙子さんとのduo)でちょっとだけまわってくることにした。小樽のフリーランス、札幌のジェリコ、洞爺の杢(もく)、室蘭の満冏寺(まんけいじ)。ジェリコはちゃんとやるのははじめてかも知れない。満冏寺ははじめてだ。
札幌では東京にいた川村年勝さんに会える。コロナも少し落ち着いているようでよかった。ちょっと前だったら会うこともできなかった。
洞爺の杢には昔の伊達ジャズクラブの友だちがきてくれるはずだ。楽しみだなあ。ぼくの北海道の旅はここからはじまったのだった。50年近く前の話だ。はじめて伊達に行ったとき、面白いところがあるから、と案内してもらったのがシブヤシゲヨシさんのところだった。シゲヨシさんのことは前にblogに書いたので、興味がある人は見てください。

さあ、9月だ

峰厚介 with string のコンサートが終わった。アレンジがなかなか進まなくて早く解放されたいと思っていたから、さぞいい気分だろうと思いきや、そうでもなかった。もちろん悪い気分ではないけれど、もっと、うれしくてその辺りを走り回るんじゃないかと思ってた(犬じゃあるまいし)。
これで今年の夏は終わりだ。
9月は松倉如子さんとひさしぶりに桜座に行く。松倉さんは桜座ははじめてだという。大丈夫、どこにいても松倉さんが歌えばもうそこは松倉さんの世界だ。翌日は甲斐大泉(八ヶ岳南麓)の草布絵というところ。5月にいつも行くチャンドラに行ったときに偶然立ち寄った。コンソール型のピアノが二台ある。そのほか面白い楽器もたくさんあるちょっと不思議な場所だ。

ちょうどキノコの季節だ。天気がよければその辺りを探してみたい。

山川啓介ソングブック

山川啓介(井出隆夫)さんの作品集「リリシスト-山川啓介ソングブック-」が発売された。5枚組で厚いブックレットがついている。
山川さんとは、いずみたくさんのオールスタッフプロダクションで知り合った。会社は材木町にあって、その4階にスタッフルームというのがあって(机が四つと電気ピアノがあった)、そこで毎日譜面を書いていた。そこに突然登場したのが(少し前からいたに違いないけれど)井出隆夫さんだった。いずみさんは、その頃一手に仕事を引き受けていた山上路夫さんが忙しくなったので詞と台本を書く人を探していたんだろうと思う。
スタッフルームでは机を並べて仕事をした。限られた時間でする仕事がほとんどだから、いつもあわただしくてゆっくり話をした記憶もない。
オールスタッフプロダクションはその頃が全盛で一時は社員が100人くらいいたんじゃないかと思う。
「おかあさんといっしょ」の仕事は井出さんから話があった。井出さんは既に福田和禾子さんと子どもの歌を作っていて、また「おかあさんといっしょ」の台本も書いていた。
やがてこちらも独立してオールスタッフに行くことも少なくなり井出さんも独立したはずだ。
1995年くらいだったか、由紀さおり・安田祥子姉妹のアルバムを作ることになって、一年ちょっとかかって(なにしろ一ヶ月に1曲づつ作っていったのだから)「あの時、この歌〜オリジナル・ソング・ブック」ができた。これは忘れられない仕事になった。
仕事はひとりではできない。ずいぶん仕事をしたように思うけれど、もっといろいろやりたかった。

さて7月

さて、7月だ。いままでなにをやっていたかといえば、なにもやっていない。毎日のすることをただやっていただけ。
6月は、関西にちょっとだけ行ってきた。この前(昨年か)やったウタモモさん(vo)とやって、毎年この時期にやっている「しぶやさんと123 !!!」をやって、昨年できなかった山内詩子さん(vo)と奈良のブルーノート、大阪のSをやって、その後は大阪の秘境、能勢の気游に行ってきた。

ウタモモさんは浅川マキさんが好き、という以上に大好きな歌手で、今回もマキさんの歌と彼女のうたを、「しぶやさんと123 !!!」は「しぶやさんといっしょ」の関西版で、いつものようにナガオクミさん(vo)がメンバーを集めてくれていて、ぼくは行ってただやればいいという、夢のようなライブ。今回はまた華乃家ケイさんがguestできてくれて相変わらずのすばらしい歌を聴かせてくれた。
山内詩子さんとは2days。昨年秋のライブが急の腹痛でできなくなって、もう一度、というライブだった。

最後は大阪能勢の気游に行ってのんびりしてきた。気游に行けば、ただぼんやりしてるだけで時間が過ぎて行く。なにもしないことを気にかけることもない、理想郷!
あ、それから6/30にワクチンに行ってきました。2度目は7/21。

6月15日

小林亜星さんが亡くなった。いずみたくさんの手伝いをしていた頃、いずみさんだけではなくてずいぶんいろんな人の手伝いをした。三保敬太郎さん、中村八大さん、小林亜星さん、あの前田憲男さんのところにも行ったのだから驚きだ。手伝いどころか邪魔しに行ったようなものだ。できるできないじゃなくてそういう人たちの近くにいることがうれしかったんだろう。
いずみたくさんは中学か高校の頃から知っていて、ほんとにいろいろ世話になった。恩人と呼べるのはいずみさんだけだ。
おかあさんといっしょの越部信義さんも亡くなった。福田和禾子さんもいない。知ってる人が誰もいなくなるなあ。後10年くらいか。

渋谷毅の音楽史

こんなライブをやった。以下、Facebookの投稿から。

渋谷毅の音楽史か(笑)。こんなライブをするのはもうすることがなくなったというのと同じような気がして、もしそうなら喜んでいいのか悪いのかわからない。自分がやってきたことを振り返ってみるなどというのも(若ければそんなことはしないから)こちらの年齢を再確認するだけで、まあ、素直に自分のやってきたことを肯定したいのだ、くらいにいえば、人間はそういうものなのかという大問題に行きつく。また、老後の愉しみという考え方もあって、それについてはいろいろ考えたり実行もしてきたけれど、そんな余裕がある老後がくる保証はないのに最近気がついた。
暇つぶしというところか。

ソフトリー

鹿児島に行ってきた。今回はライブというより遊びで、ちょっとした仕事が終わったから自分にご褒美というわけだ。ライブは一日だけ吉次郎でsolo。二年ぶりか。
休みの日はひさしぶりに日南の飫肥に行った。櫻という小さなカフェがあって、ここは前に何回もライブをやったところだ。飫肥には昔鹿児島にいたソフトリー(黒川研一さん)がいて、彼に会うのも楽しみでそれが目的で行ったようなものだけれど、このところ身体の具合がよくないみたいで会えるかどうかわからない。会いたくないと追い返されることも考えられる。恐る恐る櫻のマスターと訪ねて行った。元気だった。
櫻でコーヒーを飲みながら話をした。身体は辛そうだったけれど話せばソフトリーだ、次から次と話がつづいて楽しい。ソフトリー健在!
しかし(身体のこともあってか)みんなには会いたくないらしく、そのことについてなにかいっていたようだったけれど、そこはよく聞いていなかった。
そうそう、ソフトリーといえば、いつもラジカセを持って歩いていて、その姿がすぐに思い浮かぶけれど、そのラジカセは調子が悪くなって、いま聴けるのはCDだけらしい。とにかく会えてよかった。出歩くのは無理かも知れないけれど、元気でいてください。また会いましょう。

鹿児島へ

3月になって気がついたらもうフキノトウが大きくなっていた。いつもそうだ、毎年のことだから憶えてもいいはずなの忘れてる。いつもだから老化現象ではない、単に忘れてるだけだ。
ひさしぶりに「おかさんといっしょの」の曲を作った。もう頼まれることはないだろうと思っていたからちょっとびっくりした。
いい曲が書ければいいけれど、こればっかりはやってみないとわからない。今回は締め切りに間に合ったけれど、だからいい曲とはもちろんいえない。いい曲かどうかを判断する能力は少しはあると思っているけれど(なければ曲などできない)、しかし、あってもいい曲ができるという保証はない。

この録音が終わったら鹿児島に行ってくる。3/22に吉次郎でsolo。前日は休みなので飫肥の櫻に行ってこようと思っている。櫻はライブをやらなくなったけれど店は健在だ。ソフトリーにも会いたい。