山川啓介ソングブック

山川啓介(井出隆夫)さんの作品集「リリシスト-山川啓介ソングブック-」が発売された。5枚組で厚いブックレットがついている。
山川さんとは、いずみたくさんのオールスタッフプロダクションで知り合った。会社は材木町にあって、その4階にスタッフルームというのがあって(机が四つと電気ピアノがあった)、そこで毎日譜面を書いていた。そこに突然登場したのが(少し前からいたに違いないけれど)井出隆夫さんだった。いずみさんは、その頃一手に仕事を引き受けていた山上路夫さんが忙しくなったので詞と台本を書く人を探していたんだろうと思う。
スタッフルームでは机を並べて仕事をした。限られた時間でする仕事がほとんどだから、いつもあわただしくてゆっくり話をした記憶もない。
オールスタッフプロダクションはその頃が全盛で一時は社員が100人くらいいたんじゃないかと思う。
「おかあさんといっしょ」の仕事は井出さんから話があった。井出さんは既に福田和禾子さんと子どもの歌を作っていて、また「おかあさんといっしょ」の台本も書いていた。
やがてこちらも独立してオールスタッフに行くことも少なくなり井出さんも独立したはずだ。
1995年くらいだったか、由紀さおり・安田祥子姉妹のアルバムを作ることになって、一年ちょっとかかって(なにしろ一ヶ月に1曲づつ作っていったのだから)「あの時、この歌〜オリジナル・ソング・ブック」ができた。これは忘れられない仕事になった。
仕事はひとりではできない。ずいぶん仕事をしたように思うけれど、もっといろいろやりたかった。

さて7月

さて、7月だ。いままでなにをやっていたかといえば、なにもやっていない。毎日のすることをただやっていただけ。
6月は、関西にちょっとだけ行ってきた。この前(昨年か)やったウタモモさん(vo)とやって、毎年この時期にやっている「しぶやさんと123 !!!」をやって、昨年できなかった山内詩子さん(vo)と奈良のブルーノート、大阪のSをやって、その後は大阪の秘境、能勢の気游に行ってきた。

ウタモモさんは浅川マキさんが好き、という以上に大好きな歌手で、今回もマキさんの歌と彼女のうたを、「しぶやさんと123 !!!」は「しぶやさんといっしょ」の関西版で、いつものようにナガオクミさん(vo)がメンバーを集めてくれていて、ぼくは行ってただやればいいという、夢のようなライブ。今回はまた華乃家ケイさんがguestできてくれて相変わらずのすばらしい歌を聴かせてくれた。
山内詩子さんとは2days。昨年秋のライブが急の腹痛でできなくなって、もう一度、というライブだった。

最後は大阪能勢の気游に行ってのんびりしてきた。気游に行けば、ただぼんやりしてるだけで時間が過ぎて行く。なにもしないことを気にかけることもない、理想郷!
あ、それから6/30にワクチンに行ってきました。2度目は7/21。

6月15日

小林亜星さんが亡くなった。いずみたくさんの手伝いをしていた頃、いずみさんだけではなくてずいぶんいろんな人の手伝いをした。三保敬太郎さん、中村八大さん、小林亜星さん、あの前田憲男さんのところにも行ったのだから驚きだ。手伝いどころか邪魔しに行ったようなものだ。できるできないじゃなくてそういう人たちの近くにいることがうれしかったんだろう。
いずみたくさんは中学か高校の頃から知っていて、ほんとにいろいろ世話になった。恩人と呼べるのはいずみさんだけだ。
おかあさんといっしょの越部信義さんも亡くなった。福田和禾子さんもいない。知ってる人が誰もいなくなるなあ。後10年くらいか。

渋谷毅の音楽史

こんなライブをやった。以下、Facebookの投稿から。

渋谷毅の音楽史か(笑)。こんなライブをするのはもうすることがなくなったというのと同じような気がして、もしそうなら喜んでいいのか悪いのかわからない。自分がやってきたことを振り返ってみるなどというのも(若ければそんなことはしないから)こちらの年齢を再確認するだけで、まあ、素直に自分のやってきたことを肯定したいのだ、くらいにいえば、人間はそういうものなのかという大問題に行きつく。また、老後の愉しみという考え方もあって、それについてはいろいろ考えたり実行もしてきたけれど、そんな余裕がある老後がくる保証はないのに最近気がついた。
暇つぶしというところか。

ソフトリー

鹿児島に行ってきた。今回はライブというより遊びで、ちょっとした仕事が終わったから自分にご褒美というわけだ。ライブは一日だけ吉次郎でsolo。二年ぶりか。
休みの日はひさしぶりに日南の飫肥に行った。櫻という小さなカフェがあって、ここは前に何回もライブをやったところだ。飫肥には昔鹿児島にいたソフトリー(黒川研一さん)がいて、彼に会うのも楽しみでそれが目的で行ったようなものだけれど、このところ身体の具合がよくないみたいで会えるかどうかわからない。会いたくないと追い返されることも考えられる。恐る恐る櫻のマスターと訪ねて行った。元気だった。
櫻でコーヒーを飲みながら話をした。身体は辛そうだったけれど話せばソフトリーだ、次から次と話がつづいて楽しい。ソフトリー健在!
しかし(身体のこともあってか)みんなには会いたくないらしく、そのことについてなにかいっていたようだったけれど、そこはよく聞いていなかった。
そうそう、ソフトリーといえば、いつもラジカセを持って歩いていて、その姿がすぐに思い浮かぶけれど、そのラジカセは調子が悪くなって、いま聴けるのはCDだけらしい。とにかく会えてよかった。出歩くのは無理かも知れないけれど、元気でいてください。また会いましょう。

鹿児島へ

3月になって気がついたらもうフキノトウが大きくなっていた。いつもそうだ、毎年のことだから憶えてもいいはずなの忘れてる。いつもだから老化現象ではない、単に忘れてるだけだ。
ひさしぶりに「おかさんといっしょの」の曲を作った。もう頼まれることはないだろうと思っていたからちょっとびっくりした。
いい曲が書ければいいけれど、こればっかりはやってみないとわからない。今回は締め切りに間に合ったけれど、だからいい曲とはもちろんいえない。いい曲かどうかを判断する能力は少しはあると思っているけれど(なければ曲などできない)、しかし、あってもいい曲ができるという保証はない。

この録音が終わったら鹿児島に行ってくる。3/22に吉次郎でsolo。前日は休みなので飫肥の櫻に行ってこようと思っている。櫻はライブをやらなくなったけれど店は健在だ。ソフトリーにも会いたい。

スケジュール

このblogに載せている表を使ったライブスケジュールは古いパソコンに入れたソフトで作っていたけれど、パソコンを新しくしたらそのソフトが動かない。作るときにはいちいち古いパソコンを立ち上げていたけれどさすがに面倒になったので、それはやめて、blog(wordpress)で普通に書くことにした。これだと出先でも直せるので楽だし気分もよい。
wordpressも前はいろいろいじっていたけれど、いまはダウンロードしたのをそのまま使っている。そのうちまた遊んでみたい。けど、そんな時間があるんだかないんだか。
自宅サーバーも準備だけはできているけれど回線の問題がまだ片づいていないのでこちらもいつになることか。

追記 表を使ったスケジュールは終了します(3/9)

2月だ!

いや、別に騒ぐほどのことではないけれど、寒いのはもういいよ、といいたくなっていたからちょっと春が見えたような気がしてうれしくなっただけだ。
今月は栗渋で関西名古屋方面に行くけれど、四日市のTAKE ZEROは昨年の4月に行くはずだったところで、それにはちょっとわけがあった。2020年2月21日の投稿をもう一度。

「名古屋にいた今西さんに誘われて四日市のTAKE ZEROに行ったのは10年近く前か。そのとき知り合ったのがルークレコードの喜多野さんだ。
いままで(亡くなるまで)名前も知らなかった。名前を知らなくても困ることはなかったし、誰かと話すときは「レコード屋さん」とでもいえばそれで済む。なにを話したか憶えていないけれどいろいろ話をしたことだけは憶えている。四日市のライブのときはもちろん、名古屋のラブリーにも必ずきてくれた。どこだったか、とんでもないところで会ったこともあったなあ(あれはどこだったか)。それが昨年のラブリーにこなかった。しかしまさか病気だとは思わなかった。
みんななにもいわずいつのまにかいなくなる。4月26日、TAKE ZEROにピアノを弾きに行く。」

結局このときは行けなかった。いま考えると、どうして喜多野さんとなかよくなったのかわからない。いつの間にかなにも話さなくて、それでよかった。

無題

また緊急事態宣言が出て、前にも出たことがあったから慣れている、と思いきや、ライブハウスの対応はどこも同じじゃないから、スケジュールを直したりいっしょに演る人への連絡をしたり、あれこれ忙しいこと! そうか、前のときはほとんどが中止だったから、ただそう書けば済んだのだ。
などといってもなにも進まないからやることはやっている。
しかし、このコロナは(こちらが生きている間には)終息しない気がしてきた。そうじゃなくてもこちらの寿命がもう目に見える範囲だから同じようなものだ。この間、気分が悪くなって横になっていたら、なんというのか、いろんな景色が次々と浮かんできて、あ、これが走馬灯のようにというやつかとしばらく楽しんだけれど切りがないのでやめた。
これからは仕事(ライブ)のやり方も変わらざるを得ないだろうなあ。

おめでとうございます

おめでとうございます。
新年にあたって今年の抱負、などというものはなにもない。ひとつ思ったのは、今年も転んだりしないようにしようということで、この何年かは転ばないで済んでいたのだけれど、年末のいつだったか駅のエスカレーターで、へなへなとくずれ落ちるように転んで、そんな風に転ぶのははじめてだったのでびっくりしたことがあった。積み木がくずれるような感じだった。つまづいたのでも何でもない、バランスがくずれたのか。
それもこれも歳のせいだとわかっていてもそれでそんなことがなくなるわけではない。気をつけよう。後は、やることのいい悪いよりやることをちゃんとやること。自分のやることは大体わかっているのだ。
今年もよろしくね!