再掲 武田和命のダンディズム(奥成達さんの追悼文から)

1989年11月14日、新宿ピットインで武田和命追悼セッションがありました。そのとき詩人の奧成達さんが読んだ「武田和命についていまになって思うこと」という追悼文が手元にあります。ちょっと長いのですが、その中から武田和命のダンディズムについて論じた部分を紹介します。
(これは2006/04/01の投稿です)

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大体武田さんは、本来、こうした追悼のコンサートのようなセンチメンタリズムとか、日本的なノスタルジィというようなものを、はっきりと嫌っている人のように見える人でした。
こんなときダンディというような言葉を使うと、人はすぐプレイボーイとかドンファンとか、キザなシャレ男を想像してしまうようですが、ダンディズムというのは、一口に言うと、一個の芸術ともいうべきもので、その点、武田さんは正にこのダンディの典型のような人だったと思うのです。
たとえばかっての、つまり18世紀19世紀のころのダンディたちについてですが、彼らの風変わりな神話的伝説はいま、いろいろと残っているにせよ、彼らにはいわゆる歴史に残る作品というようなものを一つも残してはいないのです。中にはバイロンとかボードレールとかいうようないく人かの人の名声はたしかにわずかに残ってはいますが、それはダンディそのものとしてではなく、彼らの書き残した作品によるものなのです。
その意味で、純粋なダンディたちには何も報いられるものはなく、途方もない自己犠牲に耐えながらも、なおかつ彼らのすべての行為は常に無償の行為そのものだったのです。
出世とか地位とかへの願望もなく、ただ単に無償のものを追い求めていたというわけです。
一般の人には無価値に映るものを、根気よく、自信を持って築きあげていくことによって、ダンディの存在の意味を、人々に印象づけていこうとしていたのです。
つまりこれは、いうなれば「印象的な無」というようなものです。
この「印象的な無」は「印象に残らない有」よりもはるかに存在価値は大きいはずです。
というのがダンディの「無の存在意識」というわけです。
ようするに、彼らダンディのすべては時代の流れを心の底から馬鹿にしていたということなのでもあります。
これは誰かにたのまれてわざわざそうやっているわけではけっしてないわけですから、ダンディというのは、言い方によっては相当のナルシストである、と同時にマゾヒストであるという人にもなります。しかし、その底に常に流れているものは、もちろん「美の追求」というところにありました。
この「美」というところを「ジャズ」と置きかえてみると、武田さんに限らず、ジャズミュージシャンは、おおむねみなこのダンディズムの人々という気がしてきそうです。
しかし、そのたくさんのミュージシャンの中でも、格別、武田さんがダンディなのは、「孤独の崇高性」というようなものがいつもただよい、つきまとっていた特別の人に思えるからです。

(中略)

いうなれば武田さんの放蕩無頼さは、どこにいても馴れ合うことのブキッチョな、(彼は意識的にそうしていたのかも知れませんが)ローンリーな「孤独者」ならではの「意志」が、彼の一挙手一投足を自己規制していたからゆえの、行動だったように、いまになって思えたりするのです。
つまりぼくの知る武田和命という人は、「友人」はいっぱいいましたが、これまで彼の「身内」というものが一度も登場してきたことはありませんでした。
日本はその身内の馴れ合いがどこへ行っても幅を利かせるところですから、武田さんのように「孤独」を愛する人には、ずいぶん居心地の悪い思いをしていたのではないかなと、いまになって思ったりもします。
彼はけっして嫌われ者ではないし、たくさんの人々に愛されてはいましたが、武田さん自身の中では、自分はどこへ行ってもヨソモノなのだという頭がいつもあったのではないでしょうか。これは、彼の普段の生活のことだけを言っているのではなくて、彼のジャズについても、まったく同様に彼は考えていたのではないでしょうか。
武田和命は孤独者に自らを置く、強い意志があるので、多少の偏見や誤解に対しても最初から大きな覚悟があったのでしょう。

中山信一郎とメモリーズ・フォーエバー

中山信一郎さんの追悼集は3/21の一周忌のライブで手にした。読んでいると過ぎた日のことが思い出されて泣きそうになる。中山さんが書いてくれたアルバム「dream」のライナーノートはぼくの(ジャズの)履歴書みたいなものだ。
中山さんはジャズと同じように映画が好きだったけれど(もしかしたらジャズより前から好きだったのかも知れない)、こちらはあまり映画を見なかったからたまに映画の音楽を作ったときくらいに話をしただけだ。
しかし、中山さんはもちろんだけれど、周りにいた人たちのなんて魅力的なことか。60年代のモダンパルス(同人誌)時代からずっと遊んでくれたソフトリー、壮ちゃんはじめ、ロイさん、吉次郎、他、みなさん、みんながいたからぼくもいた。
昔のblogを整理していたらこんなことを書いていた。

モダンパルス
2007/03/11 日曜日 – 18:13:16 by tshibuya

「時間と空間のヴェールをへだててみると、現実のすがたが美化されてくる。どぎつい色彩がやわらげられ、あらあらしい線も丸みをおび、残酷で悲惨な出来事も、また愚劣きわまる恋愛でさえ、いつの間にかロマンチックなものだったような気がしてくる。そして、そこからノスタルジアがうまれてくるのだ…と書いたのは、花田清輝であった」。
という書き出しではじまる中山信一郎の「わがモダンパルス回想」(1975年、ジャズ批評)はモダンパルス復刊の前年に書かれた第一期モダンパルスの総括といったものだった。
「60年代に起こった反抗的な芸術運動は、70年代に入って、ことごとく崩壊してしまったように思われる。ミニコミによる、文学、政治運動、アンダーグランドとしての映画、演劇運動。彼らは今どこにいるのか。あるいは、70年代の、あのむさくるしい反抗的ポーズを捨てて、もっとリラックスした表情をもって彼等の世界を持続させているのであろうか」。

不幸にして(いや、幸いにしてといった方がいいか)60年代のことはよくわからない。なにしろこちらは薬と競輪に明け暮れていて、反抗的な芸術運動などに目を向ける暇がなかったし、その後もコマーシャルの世界に身を置いてきたからそういったこととはまるで無縁だった。
モダンパルスの同人と一番親しくしていたのがこの1976年ころで、なにかと用事を見つけては鹿児島まで行く。そして焼酎を飲み、温泉に行き、ジャズを語る。

復刊したモダンパルスには毎号「特集」があった。手元にある分のそれを挙げれば、
本の特集(2-3)
中間派ジャズ(2-4)
わが思春期(2-5)
文庫本特集(2-6)
ハード・バップ特集(2-7)
特集<私たちの日記>(2-8)
特集・私達の食生活考(2-9)
特集・マンガ(2-10)
特集・私達の異性論(2-11)
・日本のジャズ・レコード(2-11)
特集・ソフトリー(黒川研一)(2-12)
・70年代の映画(2-12)
最後のソフトリー特集が泣かせる。編集後記に岩下壮一が「黒川研一ことソフトリー特集であるが、こうした特集は我がモダンパルスにとってネタつきの感はいなめない。一種の衰弱である」と書いている。

同人以外の投稿者では、飯島哲夫、野坂恒如、村上春樹、東井輝夫、いソノてルヲ、森山浩志、行田よしお、遠藤櫻子、得丸泰蔵、内田修、山田宏一、緑魔子、小谷傳、青木和富、白井佳夫、寺島靖国、などなど。とても書ききれない。
80年4月の2-12をもって休刊。

Luz Do Sol 第4集「やさしい雨」

Luz Do Sol(平田王子、渋谷毅)の第4集「やさしい雨」ができた。
もちろん前作の延長線上にあるのだけれど、今回は松風鉱一(ts,flute)さんに何曲か参加してもらったのが特別だ。松風さんはちょっと前衛的なイメージがあるけれど、tsは実に柔らかく滑らかで、fluteは軽やかだ。
平田さんのオリジナルは3曲。「Sem falar」「みどりいろの雨」「Little birthday song」。A.C.ジョビンの曲は今回も何曲かある。「Forever green」はジョビンの曲としてはちょっと変わっている。その他、変わったところでは「The Star Carol」という曲があって、これはクリスマスに歌われる歌かも知れない。また、平田さんからのリクエストでEdu Loboの「Beatriz」をsoloで演奏した。
前作の延長線上と書いたけれど、それに間違いはないとしても、ちょっと目に見えないなにか、例えばLuz Do Solがこれからどうなっていくのか、というようなことの答がどこかに隠れているような気もしている。

こんなことを書いていた

6年前の正月にこんなことを書いていた。

「どういうことがやりたいのか、なぜやっているのか、とか聞かれて困るのはそのどういうことというのがこちら自身にもさっぱりわからないからで、わからないのになにかやるのはおかしいという人がいても、そういうことはあるのだから聞かれても困る。もちろん、これこれこういうことがやりたいとはっきりいえる人もいて、それはそれでちょっとうらやましくもなってくるけれど、でも、どこか、ほんとかなあ、という気がしないでもない。
いっそのことやりたいことはありませんといえればいいけれど、それもちょっと違うような気がするので、それではどういうことがやりたいのか、なぜやっているのかがいつまでたってもわからない。そういうことの繰り返しでいままできたのだからこれからもそうなんだろう」

いまでもまったく変わらないのには、「なんだ、進歩ないじゃないか」という気もするけれど。

シブヤシゲヨシさんについて(番外)

●カニ(蟹)
2011/04/21 木曜日 – 13:16:41 by tshibuya

本棚を整理してたら、シブヤシゲヨシさんが書いた「観光雑筆」という小冊子が出てきた。1977年に作ったものらしい。名所、史蹟、文学碑、物産などを解説したもの。その中のカニ(蟹)を紹介します。もちろん感情訳です。
道内いたるところに、カニ料理がある。世界語感情訳で見ると、カニは「カ=入って行く、来る、ニ=分ける方へ」と出る。日本にナナメ(斜)の語がある。
ナナメは、「ナ=分ける形に、ナ=分ける形に、メ=うごめく」とも出て、まっすぐではない。カニはナナメに歩くでしヨ。

う~ん、わかるようなわからないような

2 Responses
E-Shibuya : 2011/04/21 – 23:40:05 –
お久しぶりです。
そんな本ありましたね。
字が小さくて読むのがきついので、あまり見ていませんでした。
あたためて取り出して見て、裏表紙に書いてある「涙炎」とかいう詩がいいかなぁ・・・などと思って眺めています。

tshibuya : 2011/04/22 – 11:56:42 –
E-Shibuyaさん、しばらくです。こちら、相変わらずで、元気です。 裏表紙の「涙炎」、いいですね。紹介させてください。

●E-Shibuyaさんのコメントにあったシブヤシゲヨシさんの詩「涙炎」
2011/04/22 金曜日 – 12:06:55 by tshibuya

     涙炎

     この世はいっぱいだ
     泣くも 悲しい
     泣くも うれしい
     笑ふも うれしい
     笑ふも 悲しい
     みんな
     私はいっぱいだ
     涙がこぼれおちる
     とても いい

2 Responses
asianimprov : 2011/04/28 – 21:39:46 –
「いっぱいだ」と「とても いい」が、とてもいいですね。
サントリーのCMのおかげで「見上げてごらん・・」を一日に何度も聞きますが、サビの部分は渋谷さんの作曲では?
単なる想像/妄想ですが、そんな気がしたので。

tshibuya : 2011/04/29 – 11:31:45 –
いやいや、そんなことはありません。いずみさんはそういうことに関してはちゃんとしてましたから。というか、自分がやったほうが早かった(当然ながら)。

そんなことをやってる場合じゃない

こここのところ集中的にエリントンを聴いている。一曲を細かく聴くこともあるけれど、大体は気の向くままに聴いている。そうやってなんとなく聴いているうちになにか思い浮かんだりして、そういうことが楽しい。
でも、いまはそんなことをやってる場合じゃない、3/5のコンサートに間にあうようにアレンジをしなくてはいけないのだ。このところ机に向かって譜面を書くなどまったくしていなかったから時間のかかること! 時間のかかるのはまだいいけれど、五線紙を前にしてなにも思い浮かばないのが困る。いや、そんなことはいまにはじまったことではないけれど、ひさしぶりにやってみるとそういう感覚が戻ってきて、決していい気持ちではない。
書けなくて仕方なく風呂に入ったりしてみるけれど、それでうまくいくわけもなく、もうこうなったら寝てしまった方がいいのかも知れない。起きて気分一新というのは風呂より効果がありそうだ。

エリントンDE行こう

デューク・エリントン 生誕120年ということで、エリントン作品を演奏するというとんでもなく嬉しい話が飛び込んできた。もちろん嫌もなにもない、最初に思ったことは「ちゃんとできるか・・」ということで、しばらく悩んだあげく、つまらない悩みはその辺りに置いて素直にやることにした。
エリントン に対する思いはいろいろある。先日ひさしぶりに会った加藤総夫さんとの話をコンサートのプログラムに載せる予定なので、そうなればそれを読んでもらうのが早い。
エリントン を取り上げるのだからエリントンの曲を演奏するのは当然だけれど、それだけでエリントンやります、などといえないのも当然で、では、なんだ、などと考え出せばまた悩みは深まるばかり、これは一体いつまでつづくのか。

シブヤシゲヨシさんについて(7)(8)(9)(10)

●シブヤシゲヨシさんについて(7)
2010/02/07 日曜日 ? 14:36:23 by tshibuya

シゲヨシさんの絵は楽しい。
象の国へおりる、日本象国物語、「日英語ノーベル賞」は普通の印刷ではなくて、原稿用紙をそのままコピーして印刷した本だ。で、どれにもシゲヨシさんが描いた絵がちょっとだけ入っている。手作りの漫画シリーズ「酒とテープレコーダー」(これはコピーして製本したもの)は当然絵がたくさん入っているけれど、でも、話しがむずかしいから、とても漫画を見るようにスラスラとはいかない。しかし絵だけ眺めていても面白い。いや、面白いというより楽しい。シゲヨシさんがどんな気持ちでこれを描いていたんだろうかと想像する。
下の絵は本の中からではなく、前に送られてきたものの中から。上がイノル、下がミトム。

●シブヤシゲヨシさんについて(8)
2010/02/12 金曜日 ? 12:10:19 by tshibuya

シゲヨシさんの絵を「携帯の待ち受け画面にしました」という人がいた(笑)。かわいいからというのがその理由だ。また、duoシリーズ(もうすぐ津上研太とのアルバムができる)のジャケットをやってくれている四釜さんは「イノルの虹色の睫毛なんてたまりません」と書いてきた。確かに「イノル」はかわいい。シゲヨシさんの絵は40点ほどあるけれど、この「イノル」が一番かわいいかも知れない。しかしこんなことをシゲヨシさんが知ったら苦笑するかも知れないなあ。
いや、ただ笑ってるだけか。「イノル」「ミトム」も含めて、そのうちちゃんとスキャナして載せたい。本当は絵を見ながらシゲヨシさんの話しを聞くともっと楽しいのだけれど。
本の方は手に入れるのがむずかしい。でも、「象の国におりる」「日本象国物語」はE-Shibuyaさんがweb版を紹介してくれている。「五十音感情の正体」の方も取りかかっているということなのでそのうち見ることができると思う。

●無銭優雅
2010/03/03 水曜日 ? 17:40:04 by tshibuya

渋谷オーケストラのメンバーと作っているduoのアルバムも4枚目になった。こんどは津上研太(ss、as)とだ。録音はずいぶん前に終わっていて、あとはジャケット制作とマスタリングが残っているだけ。4月の中旬にはできる。
タイトルは「無銭優雅」。これは山田詠美さんの小説のタイトルで、
津上さんは西荻窪にあったKonitzというお店で詠美さんと知り合い、なにか曲を作ろうと思い、で、できたのが無銭優雅という曲。録音が終わって、じゃ、タイトルはどうしようかと話していたとき、さっきやった無銭優雅の譜面が目に入った。無銭優雅ってなに?
といったことがあって、アルバムのタイトルはめでたく「無銭優雅」となった。で、この際、ライナーノートも詠美さんにお願いしようか、という悪乗りに近いいい考えが浮かんで、早速津上さんに連絡してもらった。
そのすてきなライナーノートも届いた。ジャケットは、duoシリーズ最初からの四釜裕子さんと相談してシブヤシゲヨシさんの画でやってみることにする。

2 Responses
E-shibuya : 2010/03/03 ? 21:53:57 ?
E-Shibuyaです。
「無銭優雅」
父は、貧乏でした。
しかし、お金は必要な時に必要なだけ天から与えられるという不思議な信念をもっていました。
父の著書のところどころに、このことが記されています。
自由人に徹した父の人生はこの上無い優雅なものだったと思います。
「無銭優雅」、実に父にピッタリです。
そのジャケットにお使いいただけるのは、とても有り難いですが、父の風変わりな画がお役に立てるかどうかが心配です。

tshibuya : 2010/03/05 ? 14:52:06 ?
E-Shibuyaさん、コメントありがとうございます。
ほんと、「無銭優雅」ってシゲヨシさんのことみたいですね。シゲヨシさんのように生きるのはむずかしいけれど、その生き方を見ているだけでなんとも微笑ましくなってきます。
シゲヨシさんの画はとても楽しい。できあがり、楽しみにしていてください!

●シブヤシゲヨシさんについて(9)
2010/03/06 土曜日 ? 14:20:05 by tshibuya

大変なことを思い出した。シゲヨシさんが作って歌っているカセットテープが確かあった。引っ越しのときになくしてなければどこかにあるはず。
シゲヨシさんは自分の考えがみんなにわかるように、と画を描いた。そうすると、これもそういう考えで作ったものか。それとも興に乗って歌ったものか。
机の上に(いや、畳の上かな)カセットレコーダーを置いて歌っているシゲヨシさんを思い浮かべる。見つかったらまた報告します。

●シブヤシゲヨシさんについて(10)
2010/05/11 火曜日 ? 18:32:23 by tshibuya

E-shibuyaさんによるシブヤシゲヨシさんの「五十音感情の正体web版」がスタートしています。本で見るよりこちらの方がずっと読みやすい。E-shibuyaさん、ごくろうさま。ぜひ最初から(アーカイブの4月から)見てくださるように。
もうすぐ完成する津上研太とのduo「無銭優雅」のジャケットはシゲヨシさんの画でとてもかわいいけれど、こちらの方に挿入されている画にはより力が感じられて、それはそうだろうなあ、一生の研究だったのだから。その無銭優雅のジャケットを手がけてくれた四釜裕子さんはこれを読んで「そうかそういうことだったのかと膝を打ちすぎて痛いです」とメールしてきた。
下は、無銭優雅に使わせてもらったシゲヨシさんの「イノル」。

3 Responses
E-Shibuya : 2010/05/11 ? 21:43:52 ?
ブログ「五十音感情の正体」を紹介いただきありがとうございます。
急にアクセス数が増えました。
コロポックルの石彫像とは異なり、形が無い上に、非論理的、抽象的な内容なので、Web上でどのように構成しようかと苦慮しております。
とりあえず、理屈ぬきで絵だけを見ていただこうかと思い「日本語展」の紹介から入ったのですが、絵ばかりが続くのもどうかと思い、声の感情についての解説が少し入った「アイヌ語と英語」も併せて紹介していくことにしました。

「無銭優雅」の方も間も無く完成のようですね。
楽しみにしております。
よろしくお願いします。

tshibuya : 2010/05/13 ? 10:10:46 ?
E-shibuyaさん、ごくろうさまです。いまさらながらシゲヨシさんの画におどろいています。
もちろん、それを支える理論あってのことでしょうが、それが例え非論理的、抽象的なものであってもそこからシゲヨシさんの人間が見えてきてぼくたちは元気になるのです。
続編楽しみにしています。

一川 : 2010/05/24 ? 16:18:01 ?
なんて可愛いジャケットでしょう。イノリ。こころと描く指が響き合っているのですね。ほのぼのとします。渋谷さんのピアノも津上さんの曲も楽しみですね。

●無銭優雅
2010/05/21 金曜日 ? 08:41:32 by tshibuya

津上研太  alto sax,soprano sax
渋谷毅    piano
島田正明  engineer
山田詠美  text
四釜裕子  design

津上研太とのduo、無銭優雅が完成しました。
ジャケットの画はシブヤシゲヨシさんの「イノル」。録音場所はアケタの店。全曲、津上研太のオリジナルです。
山田詠美さんのライナーノートがすばらしい。演奏については自分でいっても仕方ないのでここには書きません。発売日は5月25日(予定)。

5 Responses
E-Shibuya : 2010/05/21 ? 22:14:59 ?
「無銭優雅」完成おめでようございます。
そして父の画をジャケット、とても良い感じにおさまっていますね。
没後15年にして、父の画がお役に立てるとは・・・・・。思ってもいませんでした。
感激です。
ありがとうございました。

望月洋介@二子玉川ライラ : 2010/05/22 ? 06:09:14 ?
CDの
演奏も
ジャケットの絵も
ライナーの文も
素晴らしいです。
深夜のお日様。

志津花 : 2010/05/23 ? 09:09:15 ?
楽しみです。詠美さんのファンでもあるので、これまた楽しみです!

tshibuya : 2010/05/24 ? 14:24:48 ?
みなさんコメント、ありがとうございます。
盛岡での完成記念ライブ、無事に終わって帰ってきました。
無銭優雅が好評でうれしい。いいアルバムができてよろこんでいます。
あ、望月さん、ライラでもライブお願いしますね!

望月洋介@二子玉川ライラ : 2010/05/24 ? 17:18:58 ?
ぜひよろしくお願いいたします。