部屋を片づけてたら2011年6月18日”sayonara”FURUSAWAsan”実行委員会編集発行の小冊子が出てきた。
「いきなり、お墓だぜ」というのを書いていたので再掲します。ピットインで行われた古澤良治郎特集ライブのときお客さんに配ったものです。
車で走っていたら右手に突然お墓が現れた。宮崎市内から空港までの間のことだ。いきなりお墓だ。古澤さんは宮崎でライブがあったらしい。その帰りだ。
で、できた曲が「いきなり、お墓だぜ」。だれかにそう聞いて、いや、聞き間違いかも知れないけれど、しかしその場面を想像すれば、そのときの情景が浮かんできて、古澤さんの一挙一動が鮮明になってくる。それでそうに違いないと納得する。確かめたところによると、なんと、「いきなり、お墓だぜ、Babyわかるかな」までそのときできていたんだそうだ。
古澤さんが作った曲はたくさんあって、その中には名曲といわれるものもたくさんあるけれど、ぼくの中の名曲は、断然「いきなり、お墓だぜ」。この曲をはじめて聴いたときの印象は強烈で、なに、これ? と思って、聴き終わって、もう一度聴きたいと思った。いや、一度じゃなくてあと十回ぐらいは聴きたかった。そしてこんな単純な曲とも思えない曲がなんでこんなに面白いんだろう、としばらく考えた。いまも考えている。
そういえば、古澤さん作る曲にはそういう曲がたくさんある。その一つひとつは憶えていないけれど、それがみんな面白くて、そして苦労して作ったという感じがしないから、これはそういうちょっとしたことをすぐ曲にしてしまう不思議な才能が古澤さんにはあった。
あ、これ面白い、と思ったらすぐそれが曲になる。まるでデューク・エリントンが自分のオーケストラを「私の楽器」といったのと同じように、例えば古澤さんの「ね.」は古澤さんの楽器だった。やってみて面白ければどんどん面白くなるのはセッションの常だから、曲は一人歩きする。どうも古澤さんはそこまでも考えていたような気がしてならない。
今年の祝春一番で「パパラッコスペシャル」というのがあった。メンバーは「パパラッコ」とはちょっと違うけれど。もちろん古澤さんの曲だけを演奏した。で、改めて思ったのは古澤さんの作るそういう曲が、こういうお祭りに実にぴったりだということだ。名曲と言われるロマンティック(センチメンタルといった方がいいか)な曲までもがそうなのだ。これも不思議のひとつ。
「たまには西荻に遊びに来ませんか?」という曲がある。これは「いきなり、お墓だぜ」より断片ではないけれど、そうでもないような気もしてその辺りがよくわからない。でもこれはバランスが取れていて実にいい曲だ。好きだなあ。でも、なんといっても「いきなり、お墓だぜ」が最高! この曲を聴いていろいろ考えても仕方がないと思っても、どうしてもなにか考えてしまう。
今日はそういう曲がたくさん演奏されると思う。古澤さんの世界が全部聴ける。
聴いたら、あゝ、まだこんな魅力ある曲があったんだ、などと思うかも知れない。
ゆっくり聴いてってくださいね。